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第5話 夢

Author: 文月 澪
last update Last Updated: 2025-05-06 17:58:10

「新堂、すまないが理科室の資料整理を頼まれてくれないかい?」

 昼休みが始まってお弁当を広げた頃、不意に声をかけられた。そちらに視線を向けると、担任でもある理科の江崎先生が窓から身を乗り出していて、その腕には重そうな書籍が積まれ、年配の先生はふらついている。

「先生、大丈夫ですか? 私、運びますよ?」

 危なっかすぎて立ち上がると、先生は首を横に振った。

「いや、まだ弁当食べていないんだろう? これは僕が運ぶから、分類別で書棚に収めてくれると助かる。頼んでいいかな?」

 眉を垂れて申し訳なさそうに言う先生に、私は微笑んで頷く。

「もちろんです。ではお弁当を食べたらお邪魔します。昼休みの間に済ませますね」

 江崎先生は『ありがとう』と会釈して、壁の向こうへ消えていった。それを見送ってから、改めてお弁当に手を付ける。

「え~、凜くん、お昼休みいないの? 断ればいいのに~」

 そう言って口を尖らせるのは眞鍋さんだ。私の席と机を合わせ、向かい合わせに座っている。手元には小さなお弁当がちょこんと乗っていた。

「ごねんね。でも先生も大変だと思うから、できる事はしないと」

 こうやって先生方にもよく手伝いを頼まれるけど、それは学級委員の務めだと割り切っている。いつからか、私が引き受けるのが当たり前になってしまった仕事だ。

 高校に入学して解放されると思っていたのに、同じ中学出身の子が私を推薦してしまった。恨んでいないと言えば噓になる。どこまでも優等生を求められるのは、正直辛い。

 それでも、沁み付いた理想像を壊すのは容易ではなく、自分が我慢すればいいと思ってしまって、なかなか抜け出せずにいる。

(大学に行けば、もしかしたら……)

 淡い希望だけど、少しくらい気を逸らす事はできるだろう。

(そうは言ってもな……)

 私の進路は母の希望する有名歌劇団の音楽学校だ。本当は中学卒業後から行かせたかったみたいだけど、父がわずかばかりの抵抗をしてくれた。滅多に口答えをしない父の静かな圧に、母は折れてくれて、こうして普通校に通えている。

 その代わり、高校卒業後は絶対に音楽学校以外許さないと叫んでいた。

 母の夢は幼い頃から変わらず、私を有名歌劇団に入れる事。

 その歌劇団に入るためには、歌劇団が所有する音楽学校に入学しなければならない。倍率は毎年高く、縦の繋がりが強くて、礼儀にも厳しい事で
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